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広島高等裁判所岡山支部 昭和33年(ラ)19号 決定

抗告人 甲野三郎(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

本件抗告理由は別紙のとおりであつて、要するに、事件本人甲野花子亡夫太郎死亡後異性と情を通じて不行跡をし、その親権行使の対象たる養子甲野二郎に平素粗食を与え、かつ同人所有の不動産を勝手に売却しようとしたり、して、親権の行使を失わしめるに足る事由があるのにかかわらず、そのように認めなかつた原決定は不当である、と主張する。

よつて、案ずるに、記録中の、戸籍謄本、各被審人の陳述、抗告人提出にかかる各書面など一切の資料を綜合すれば、次の事実が認められる。

甲野二郎は亡甲野一郎と乙野とし子の長男として昭和十七年十一月十九日出生し、現在未成年者である。そして、同人は亡甲野太郎およびその妻たる事件本人甲野花子と昭和十九年十月十一日養子縁組をした。太郎、一郎および抗告人(事件申立人)甲野三郎は亡戸主甲野四郎の子であり、太郎は長男、一郎は次男、抗告人は四男である。太郎は昭和二十年四月二十二日戦死し、事件本人は二郎の親権行使者となつた。また四郎は昭和二十二年一月三日死亡し、二郎はその家督相続をして、現住家屋とその敷地を所有するようになつたが、事件本人はとりたてて言う程の財産らしい財産を所有していない。その後、事件本人は他家の手伝に一時行つていたことがあり、手伝先で異性とねんごろになるという問題を引き起したが、昭和二十二、三年頃、すなわち二郎が五、六才の頃、同人の両親たる亡一郎と乙野とし子が離別したので、事件本人は二郎を手許に引きとり、名実ともに親権者としてその養育と監護にあつた。当時、亡太郎と事件本人との間には、昭和六年生れの実子ゆき子(女子)があつたが、男子たる二郎が甲野のあとを継承すべきは法律上当然であつたため、事件本人は実子に対すると同じような情愛をもつて二郎をはぐくんだ。ところが、事件本人はいわゆる戦争未亡人であり、世上往々にしてその例があるように、その異性との交際関係について、世間からとかくの風評を受けた。もともと亡四郎は勝山町の町長をしたこともあり、甲野は勝山地方で名の聞えた家柄であつたため、亡一郎の実妹で、抗告人の姉にあたる野口みつ子や亡四郎の実弟の斎藤良雄などが、家の名誉にかかわるとばかりに、事件本人を問責し、その結果、事件本人は昭和二十五年九月頃親権行使の一内容をなす、子の財産の管理、を辞退するに至つた。(昭和二十六年二月十二日辞退届出。)このことは、専ら、事件本人の素行不良が原因となつて起つたことであり、裁判所に親権喪失の宣告を求めるというところまでは行かなくとも、財産管理権辞退という制裁をもつてすれば足りるとしたのである。決して、事件本人の財産管理の方法に失当の点があつたことを原因とするものではなかつた。このようにして、親権を行う者が管理権を有しなくなつたので、後見が開始し、野口みつ子の夫の野口光夫が昭和二十五年十一月二郎の後見人となつた。(昭和二十六年二月十二日就任届出。)その後、事件本人と野口みつ子や斎藤良雄などの折り合いがついて、事件本人は昭和二十八年十一月頃財産管理権を回復し(昭和二十八年十一月五日回復届出。)斎藤光夫の後見は終了した。(昭和二十九年一月二十二日終了届出)しかるに、事件本人の素行は修まらずに、依然として、異性と情交を結ぶことがある。現在、事件本人二郎と二人で、同人が相続により承継した家屋に居住し、その表側は、店舗にして、食料品販売業株式会社千葉商店に賃貸し、その裏側の居室は、これを他に間貸しをし、これらからあがる賃料と、亡太郎の遣族扶助料と、事件本人自身、千葉商店の事務員をして、もらう給料と、合計一ケ月一万七、八千円の収入を得て、生計をたてている状態である。二郎は、幼時、事件本人を実母と思つていたところ、その小学校時代に、既に、前記野口みつ子から、事件本人は養母であり、実母は津山市で洋裁の先生をしている、旨聞いた。その当時は、二郎に少くない衝撃を与えたであろうことは推察に難くないが、しかし、これ以後、二郎の事件本人に対する心情に変化を来したことは認められない。二郎は目下岡山県立勝山高等学校の生徒であつて、事件本人は、二郎が学校卒業後、就職させるか、進学させるか、など同人の教育にも意を用いている。前記斎藤良雄が昭和三十三年三月頃事件本人と口論したことがあるが、斎藤良雄はその際二郎に向い、今いるおかあさん(事件本人を指す。)を追い出して、元のおかあさん(前掲乙野とし子を指す。)を入れる。と言つたけれども、二郎はその言葉に格別の反応を示さなかつた。二郎は現在事件本人を実母のように慕つている。なお、昭和二十七年八月頃、事件本人は、その情交関係があるとうわさされている前示千葉商店の関係者といつしよに鰻の蒲焼を食べ、二郎はそれを食べていなかつたことを、斎藤良雄が見て、事件本人に注意したことがある。

記録にあらわれた資料のうちで、右認定に反する部分は措信し難く、他にこの認定を覆えずに足る資料はない。

また、事件本人が二郎所有の不動産を勝手に売却しようとしている、という抗告人の主張を認めるべき資料はない。

さて、右認定事実は、はたして、抗告人主張のように、民法第八三四条の、親権喪失の原因たる「………著しく不行跡………」にあたると解すべきであろうか。右にいわゆる「………著しく不行跡………」とは、親権喪失制度の趣旨にかんがみ、親権者の素行不良の程度が甚しく、そのために、子をしてその親権の下に服せしめることが子の福祉のために不利益である場合、を指すものと解するを相当とする。従つて、右にいわゆる「………著しく不行跡………」に該当するかどうかを審究する場合には、単に親権者の行為自体だけを考察するに止まらず、その行為が子の福利を害し、他の者をして親権を行わさせ、又は後見をさせることが、より良いかどうかをもしんしやくする必要がある。本件についていうと、二郎の養父が死亡したため同人の親権者となつた事件本人が、夫死亡後、異性と情を通ずるというようなことは、親権者として不品行であり、しかも、その不品行を親戚からとがめられて後も、依然としてこれを改めることがない、というに至つては、その不品行は厳しく非難されるに値するものであるには違いない。しかし、前示認定のように、その不品行の影響として、事件本人が二郎をうとんずるとか、二郎が事件本人を敬愛しなくなつたとか、いうような事実は未だ発生していないのである。養母と養子の間は、依然として、骨肉の間と変りがない程の情愛に包まれている。しかも、事件本人は二郎の財産を管理する上において、その財産を危うくするというような、管理上の落度は、これを認め得ない。二郎を事件本人の庇護の下におき、その養育にゆだねて置いても、二郎の福利を害することになることは未だ認め難い。事件本人がかつて他人に鰻の蒲焼を食べさせながら、二郎にはこれを与えなかつたことがあるという事実は、右の判断を動揺させるに足るものではない。このような次第で、結局、前掲認定事実は、民法第八三四条に所謂「………著しく不行跡………」にはあたらないと解される。また、同条の親権の濫用にも当らないことは自明である。

されば、事件本人に対し親権喪失の宣告を求める本件申立は理由がなく、これを却下した原決定は相当であつて、本件抗告は理由がないから、これを棄却すべきものとし、抗告費用の負担につき民訴第九五条、第八九条に則り主文のとおり決定する。

(裁判官 高橋英明 浅野猛人 小川宜夫)

抗告理由

事情は原審判書謄本二頁記載の内前段記載事項中三行乃至四行「その後素行が改まつたので」は事実に反する、即ち「素行が改まつた訳ではないが相手方一人の勝手で」というのが正しい、其余の仝前段記載の通りである、従つて未成年者二郎をその親権の下におくことが不利益であり、二郎名義の不動産についても本人の利益を顧慮せず気まゝに売却せんとしており、そして原審判によれば申立の動機が遺産として有する二郎の財産を申立人等太郎の親族において之を相手方が自由にすることを虞れ相手方を甲野家から追出さんと種々策動している事実が窺われる従つて本申立の動機も真に未成年者の将来を思い保護せんがため肉親としての真情に出たものと認め難いとなしたが申立人及相手方の夫等の属した甲野家は勝山地方で誰知らぬ者なき名門でありその人格、信用極めて高いことは同地方周知の事実であり、然も抗告人等を含む甲野家親族は相手方家のために、直接、間接、隠に陽に心より或は精神的に或は物質的に数知れぬ庇護をなし相手方の乱行についても実に手をつくし言をつくして之が止まんことを祈つたものである、申立に及んだのは実に止むなき最後の断であつたのである、従つて審判理由の叙上の末尾記載を見て一同唖然として声がなかつた次第である。

仍て原審申立の如く御審判を受け又は原裁判所に差戻しを受け度即時抗告いたすものである

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